あそびにきてくださって、ありがとうございます。
きょうは、言葉と、まんじゅしゃげの花の2つの記事をアップしています。
どうぞごゆっくりです。
久しぶりに、言葉の風景。
今朝は、おきにくいと思ったら、かなり曇っていて、傘をさしているひとがいたから、よくみてみると、くもの糸ほどの、やわらかい雨が音もなく、短い線を描いて降ってきていた。
よくよく目をこらさないと、背景の屋根やマンションにとけこんでしまう雨。
しばらく、眺めていた。
午前中は、図書館で借りている本をのんびりよんですごす。
先日から香りの漂っている金木犀にあいたいから、何度も窓の外をたしかめる。
ようやく日がさしてきたから、でかけるしたくをする。
歩いている人とおなじくらいのスピードで自転車をこぐ。
香りの変化や、庭先にうえてある花に気がつくから。
道も車のよくとおる大通り沿いではなく、路地うらを選んで。
そういうせまくてごたごたしている道のほうが、沢山いろんな花が植えてある。
程なくして、金木犀の花が沢山ついている樹をみつける。
金木犀の花って、ゴムかなにかでつくられたみたいな花びらで、なんだかみるたびに不思議だ。この花は、雄花か雌花かしかなくて、挿し木で増えたから、いっせいに咲くんだそうだ。
金木犀と沈丁花は、トイレの芳香剤につかわれて、そのイメージをもってしまう人もかなりいるようで、気の毒だとおもう。
香りと記憶は、案外結びつきやすいから。。。
それでも、金木犀の香りを楽しみにしている人々は、割りに多いようで、みくしいの日記でもよく話題にあがっている。
ゆっくりこいでみていくと、みかんがみどりのままかなりの大きさに育っているのをみかける。
柿はそろそろオレンジがかってきている。
にちにちそうや、デュランタ、芙蓉は夏の終わりを告げるように咲いている。
ピンクの芙蓉の花のおわったものが、飴細工のようにくにゃりとまがって、塀のうえにのっかっていた。
こおろぎがないている。
去年、畑でいろいろな花を撮影したところが、埋め立てられて建売住宅になっていた。
ちかごろはやりの、南欧風。あかるすぎるレンガと壁の色が、まだ日の浅いことをしめしている。
畑が駐車場になっているところもあったし、半分マンションになっているところもあった。
人口が急増しているわけでもなく、農作物の自給率も40%だというのに。
畑に点在していた住宅地が、いつのまにか逆転して、住宅地のなかに、ちいさな畑がほそぼそとつづけられているような具合になっている。
いまうえられているのは、小松菜。キャベツの株にはさっそくモンシロチョウがたわむれている。
ねぎは収穫の途中のようで、畝の途中までばっさりなくなっていた。
田んぼはかりいれられて、きりかぶがならんでいる。
雀たちが宴もたけなわ。100羽ちかくがあつまって、おおさわぎしていた。
街路樹のすずかけのきには、とげとげの星がたくさんついていた。
はなみずきの樹には、ちいさな朱赤の実が3つほどくっついている。
葉っぱも紅葉するときれいなのだけれど、今年は、枯れているものが目立つ。
ゆっくり河川敷をはしる。
土手には、ねこじゃらしがひかっている。
名前の知らない草たちが、時折通る車の風に吹かれて波打つ。
白く光ったわたげのようなものをつけていたり、ちいさな穂がひかっていたり、同じ向きにきれいにならんだ細い線が、いっせいにゆれるのをみているのはたのしい。
せいたかあわだちそうの黄色い花が、咲き始めている。せいたかではなくて、ひざくらいの高さだったけれど。
大きなくすのきに、あいさつして、根っこがちょうどこしかけられるようになっているので、そこにかけさせてもらって、もっていったパンをたべる。
袋に反応したすずめたちが、近くの枝にむらがってきて、おこぼれを狙っているから、ぱんくずはみんな撒いてきた。
くすのきには、とんがりぼうしのまるい実がついていた。
うすい空色に、まっしろなひこうきのおなかがみえる。
ひこうきがどうしてとぶのか、なんど本をよんでも、わからない。
ずいぶん前にだれかの日記にもかきこんだけれど、わたしたちの生活でどうやってつくられているのかわからないものが増えすぎた。。。
ほんのすこし前には、どうやってできているのか、どうやってそだてているのか、身の回りで誰かがつくっていたり、育てていたり、そういう素性のわかるものばかりだったはずなのに。
タイムマシンで昔におくられたとして、いまの技術のなにをつたえられるだろう。
火すらおこせなくなった、非力なわたし。
日本人の自信のなさや過剰に尊大な自己意識は、案外こういうところからきているのかもしれない。
大きなくすのきのように、大地にしっかりと根を張る。
ぐんぐんと土の精を吸う。
すべての葉が互いに重なり合わないように、光を受け取るようにできている。
いま・ここ に、一緒にいることがゆるされている。。。
わたしがわたしであることを、ゆるされている。。。
しばし、いっしょに過ごさせてもらったくすのきに、手のひらをあててあいさつして自転車にのる。
そして、きたときとおなじスピードで、きたときと違う道を選んで、ゆっくりとかえる。
金木犀の香り。
下校している子供たち。
自転車にのって、あそびにいくこどもたち。
夕食の買い物にでかける、お母さんとちいさなこども。
みんな、しあわせだといい。
金木犀のかおりが、しあわせなひとときの記憶とむすびつくように。。。
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